孤独の安らぎ

台湾南部の阿里山地域は有名な行楽地だが、大地の造形は険しい。標高1,500mあたりのB&Bに2泊して、山塊の中腹に位置するデッキから、飽きるともなく、尾根の木々や視線の下に広がる家、お茶の向上や車の修理場や、おそらくは宿泊施設、を見ていた。

夜になると、そんな下界の道路には、20メートル間隔くらいに電灯がつく。緩やかに曲がる道路が、照らされたところだけが半円状に浮かび上がるその光景に、私は強く惹きつけられる。

あの道路を車か、モーターサイクルで走る自分がいて、その視界から、ところどころに明るくて、でも絶対的に真っ暗な闇の空間が見える。

かなり寂しい、心が冷えるような感覚がある一方で、手もとの機械に対する信頼や、困難に立ち向かっているような、暖かい勇気も感じることができる。

こんな光景は、これまでにも数多く経験してきた。夜の道。自分を強く信じることが、安全にたどり着くために必要な手触り。

モーターサイクルに乗る人だけではないだろうが、孤独に近づくことは、豊かになることでもある。

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タイガーエアーのブッキング

120日に予約したはずの台湾行きの航空券を確認していないことに気がついたのは、出発まで3週間ほどになった3月の初めだった。

最初はMacのメールボックスを検索したが、見当たらない。間が抜けたことに、どの航空会社かも記憶にない。しかしiPhoneのメールにはOCN宛にTiger Airからの予約メールが残っていたので、該当の航空会社のサイトに発券番号で問い合わせすると、ないという。あれれ、とTiger Airの専用アプリをインストールしてみたら、予約されている。しかし往路のみで復路が確認できない。

ここから3つの手段で確認してみた。

1つは、普段は使わないもう一台のMacでメールサーバーを検索したが、1ヶ月前から自動削除されている。なぜだろう。そこでOCNのサーバーでメールを探してみる。電話で聞いてみると何らかの理由でサーバーからも該当日の記録が削除されていた。(その理由はオペレーターもわからないという)

2つめに、妻にシンガポールTiger Airに電話で問い合わせを頼んだ。日本の事務所の電話は閉じていた。「ごめんね、行きの予約しかないよ」と向こうの国で女性が言う。やはり。

相前後して、カード会社の明細に、航空券の引き落としでeDreamsという会社名があった。どうみても往復料金に思える。

実はこの時点で、自分のミスで復路を予約していないのではないかとの不安に苛まれていた。しかし、復路だけの予約はネットからはできない。

さてeDreamsという会社は、口コミによると問題が相当に多い。予約されていないという苦情だらけ、急ぎの場合は避けるように、と言われている。やれやれ。この年齢になったら格安航空券は使っては駄目だな。

結果的に、eDreamsに何度かの問い合わせと消費者センターへ報告する旨の脅しが聞いたのか、「帰りの航空券が取れたよ」とスペインの本社からお知らせがあったのが、出発の1週間前だった。なぜかJALになっている。

 

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台北に着いたらすぐにここねw。大人気で行列待ち20分だった

PBLで失われるもの

2016年度は、主に未来デザイン研究会に対して9つのPBL(課題解決型の教育)を行った。20余名の学生は一人あたり最大3つほどのプロジェクトに関わりながら、あわただしく一年を過ごしたことになる。

進路を決めなればならない学生にとっては、こうした専門的で社会的な活動に関わったことが自信になることは明らかだろうが、その一方で、同じような時間と労力を、違う勉強に費やしていたら何を得られたのか、と比較することは意味があるし、PBLが内包している価値と課題が明らかにもなる。

学ぶことを、自分自身の変容をもたらすものとして考えると、PBLは現実の社会問題を大人と一緒になって解決するという点で、学生の「態度が変わる」機会となることに大きな意味がある。しかし、大人たちの存在に良くも悪くも左右される点を見落としてはいけない。例えば、都内のICT企業と静岡の企業とでは、企業がPBLに求めるアウトプットの違いが大きい。前者ではデザインシンキングを前提に、学生や研究室と対等にチームを組む意欲があるが、後者は学生をお客扱いか、余興程度に捉える場合もある。その背景には、静岡の企業の多くは、課題の解決について、担当部署に決定権がないということだ。こうした組織の「古さ」が、教育にとっての品質低下、学生の変容をスポイルすることにつながる。

優れた教育成果を生み出すにはは、企業のどのポジションの人間が担当なのか?その人には解決の意欲があるのかどうか?この点を評価しなければならない。同じ時間で、しっかりと理論を理解する方が、変容をうみだす体幹を鍛えることになる方が多いように思う。

写真は2月に神田神保町で開催した、逆求人のサービスデザイン「出張ラボ」

https://www.facebook.com/未来デザイン研究会-529116870501505/

 

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春と一つになる

52号線を万沢の集落に向かって左折してそのまま県道10号線を南へ戻る。新内房橋を渡りながら富士川を見ると、午後の柔らかい光と春霞で、見える範囲一帯が薄いピンクに染まっているように感じた。春だ、嬉しい、嬉しい。

気温は19℃、薄い雲越しの光と木々の色合い、自分の周りの空気が、この季節だけの愛情たっぷりの穏やかな悦びに満ちているみたいだ。自分の気持ちがすぅっと目の前の世界に広がって、一つになる。自然と一つになる時の、自分が無になって昇華されるような感覚なのだ。

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2015年に行ったところ

2015年に向かう年末に、夫婦で沖縄に行った。暖かいところで骨休めだ。f:id:nobyas7:20141227133056j:plain

那覇からは30kmほど離れた北谷町のヒルトンに泊まって、お散歩。白い壁と大きな庇があるコンクリート住宅がとても気持ち良さそうに思える。12月でも20℃以上の乾いた風が吹いている。夜も暖かい。近所のアメリカンビレッジ(ザ観光施設!)でハンバーガーとビールの夕食であっても、気温と風とアメリカの人たちの会話が心地よくて、開放感がある。亜熱帯の島だ。

レンタカー付きのプランだったので、読谷村の陶芸施設やギャラリーをぶらぶらして、最終日は浜比嘉島に行った。ウィキによると人口約500人。沖合の小さな島だ。水不足により水田耕作はできないため、代々漁業で生計を立てていた島らしく、ハワイへの移民が多いとある。琉球を開いた神話のアマミチューを祀った洞窟がある。現在は橋で結ばれているものの、車を止めて集落を歩くと、静岡で感じる暮らしとは全く違う、寂しい気配が周りに満ちている。家はあっても、そこで暮らす人の営みのような温かみが見受けられないのだ。それらの家屋に使われている素材もプロポーションも工法も、昭和30年代に熊本市の郊外で見たような感覚がある。あるいは青森の下北半島の東側の集落をオートバイで走っていた時に感じた寂しさを思い出す。

沖縄本島は決して大きな島ではないが、観光や産業という表面に見えるものとは違い、土地と人が刻んできた歴史の中には、簡単には理解できない強い流れが走っているのだ。

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4月の下旬に妻の仕事の撮影で、韓国に行った。静岡空港から2時間、中国地方の上を横切って海を越えたら、ソウル郊外の仁川国際空港だ。バスの乗り場を数人の係員に聞くけれど、教えてくれる答えが皆んな違う(笑)。建物の中のチケット売り場のお姉さんだけが、英語できちんと指示してくれた。

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国際陶芸ビエンナーレが開催された利川の街。5月に近く、気持ちいい日差しと風だ。

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二人で仕事を終えて、ソウルで2泊、遊ぶ。妻が土地勘もご飯どころも知っているので、とても気楽だ。23時すぎまで江南の街中をふらふらはしごする。

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7月に、兵庫で用事があった帰りに、京都の南禅寺の施設に一泊した。山が、風で動いている、その力強さと優しさに、しばらく見とれていた。

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これは南禅院のお庭。京都で唯一の鎌倉式の庭園だ(そうだ)

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10月に上高地へ。木々や水の流れや空の色だけを見ていることが、実に喜ばしいということを僕は知らなかった。枝の形を目で追っていると、気持ちが静かに広がっていく。車や住宅、広告が目に入ってくる都市生活は、極論すると、視覚と精神を無理やり刺激するだけの害に満ちた暮らしなのだろう。ストレスが多いと嘆く毎日は、見たくないものを見せられて暮らしているからではないか。

 

 

 

 

 

シビックプライドは教育から

ブラタモリ「熊本」を観ていたら、新町、古町、高麗町と、記憶の中の風景がありありと蘇って、自分の中にその土地に愛着があるのがわかった。

洗馬橋のたもとにある文林堂も、高校3年の自分が受験用に木炭デッサンを初めて描きにいった時の室内の光や匂いと、身の置き所がないような孤独感を思い出す。懐かしいなぁ。

熊本城築城に至る、戦国から江戸の出来事の数々は、当時の人たちの知恵や勇気や、不安や葛藤を映し出す鏡のようなものだ。そうした先人の営みを、僕はとても愛おしく感じる。この街を共に作ってきた仲間みたいな感覚だ。この街で起こったことは自分ごとみたいだし、街と自分がぴったり隙間なく結びついているような帰属意識がある。

これは、シビックプライド、そのものだな。

思うに、テレビ番組は僕にとって、熊本を愛する気持ちを自覚させた、教育の役割を果たしたらしい。

つまり、市民の中に、その街を愛する気持ち=シビックプライドを育む重要な要素とは、街の歴史と人々の思いを受け継ぐ自覚を呼び起こすような「教育」ではないか。

 

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SONY α99とSIGMA 35mm

今さらα99を選んだ理由は、スチルとムービーの両方を隔たりなく使う計画だからだ。SONYが考えているらしい(2012年当時に考えていたらしい)のは、NIKONCANONのような趣味性が高い性格の「愛機」ではなく、空間をスキャンする最適な「メディア」ではないかと感じる。

便宜的に一眼レフカメラの形をとってはいるものの、本質的な姿は、人の眼に対して、レンズ越しにデジタル機器が捉えた空間データを提供する機械だ。トランスルーセントも液晶ビューファインダーも、そう思えば先行的な開発結果に思える。構造がカメラの系譜に捉われていない点に賛同する。

SIGMA 35mmは圧倒的と評価されている、エッジの切れ味に期待した。SONY用の機種が限られていると要因もあるが、単眼の準広角で自分が動く撮影の仕方を取り戻したいと思った。

撮影してみる。

自分では慣れているつもりでも、カメラを構える体の使い方に油断や怠慢があり、微妙な手振れが起きていることが、現像した後にわかる。

画角もまだ馴染みがない。肉眼でものを見るときに、35mmレンズで切り取るとどのように見えるのか、がまだ身についていないので、とっさに撮影に入れずに、もたついてしまう。

ミラーレスでの撮影は、背後の液晶に映る平面な絵を、平面のままPCに保存するような気持ちだったとすると、αのような大型カメラとSIGMAのレンズは、自分がその空間のどこに立ち、何を見るのか、という緊張感を強いられる。

少なくとも「何か撮ろう」という現場任せのスタイルでは自分が納得しないようだ。何を撮るかではなく、世界をどう見るか、という撮影者の姿勢が問われるメディアだし、そのためのスタイルは、テーマについて深く知ることから始まるように思う。α99は、予想以上に「気持ちに重い」表現メディアなのだ。

 

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copyright Nobuo Yasutake