防府まで790km

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長い距離を走ることを切望しているのに反して、出発前日や走り出してしばらくは落ち着かないのはなぜだろう。9時に静岡を出て九州に向かって走りはじめた。浜松までは、いつもと違う積載バランスから前輪の接地が軽く感じたり、ヘッドセットやウェアのセッティングに不具合があったり、些細なことが気になっていた。パーキングで止まって調整して、名古屋を過ぎる頃から気持ちと身体の収まりがよくなってきた。

九州までの1,000kmの距離を思うと、目の前の路面を二本のタイヤでたぐり寄せては消化していく移動の様式が心細く、やっと50km、あと400km、と考えると、空間と時間と気力との関係がぴったり組み合わさって、さぼりようがないような圧力を感じる。しかし長良川を過ぎる位から、次第に景色を見渡す余裕が生まれてきた。高速道路のフェンス越しに川辺の水草や黒い瓦葺きの農家に視線が伸びて、土地の暮らしを想像して楽しくなってくる。見慣れない光景がもたらす好奇心が力を与えてくれたのか、よし、行けそう,と自分の身体の動きに自信が感じられる。

モーターバイクは頭よりも身体で感じ、判断し処理する情報が多い。最初に感じた軽い怯えのようなものは、肉体がこの旅を咀嚼し、態勢を整えるまでの違和感のようなものだろうか。普段は乗っていない(訓練していない)のに、いきなり実戦の1,000kmに挑むことが良くないな、と思いながら、次第に本調子になっていった。

時速110kmがこのGSと僕にとって最も気持ちがいい速度帯だった。ボクサーエンジンの振動と風圧や風切り音のどれもがちょうど良く混じりあい、無音無風に感じられるスポットらしい。両脇を開き気味に腕を上げて運転していると、こどもが飛行機の真似をして腕を拡げて旋回する仕草と全く同じ滑空体験になることは、多くのGS愛好家にとっては周知のことだろう。タイヤが路面のうねりを拾い、フロントのAアームとリアの片持ちシャフトがそれらをこなす仕事をしているのだろうが、運転している人にとっては、地上からほんの少し上を浮遊しているように感じられて仕方ない。120kmを超えるとエンジンの存在が強く、100kmだと風圧が邪魔に思える。

少し飽きた時に見下ろすとオレンジのタンクカバーが勇気づけてくれるようにも思える。山陽自動車道に入ると交通量は減った。時折20kmほどの渋滞エリアがあるが、大型バイクで旅をしている人たちは、空いた道路では140kmを超えて駆け抜けていた。

夜、照明がほとんどない山あいで下りカーブに入る時は、自分の身体とこの車体を信じきる気持ちが欠かせない。緊張は身体を固くして無用な動きを招き、あるいは必要なはずの動きを妨げて、不安定な状況になりかねない。だからライダーはいつも機械を整備して、自分の身体のコンディションを整えることが必要なのだと思った。

20:30に山口県防府に到着するまでの距離は790km、3回給油して平均燃費は22,2kmとなった。

copyright Nobuo Yasutake