佐賀の街を走る

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佐賀大学に美術館ができたのを知って、佐賀市で古い友だちと会うことにした。

佐賀大和ICから市内へ向かうバイパスには30年前の街とはまったく違う光景が広がっていて本当に驚いた。AEON、シネコン、ガスト、マクドナルドと、日本のどこの郊外とも同じビジネスだった。私たちが求めるサービスは、水準とともに内容も均一化していくのだろうか?言い訳なしに嬉しいローカルのお店は珍しいように思う。

佐賀市は県庁所在地でも20数万人の人口で、他の都市の発展からはひっそりこぼれ落ちているようなところが特徴だったのに。

佐賀大学も多くの校舎が新改築され、見違えるようにすっきり清潔なキャンパスになった。特美という教育学部の中で異端だった学科も、治外法権の象徴のような中庭がなくなり、校舎は真っ白なガラス張りのアトリウムになっていた。真冬の夕方に、3階の吹きさらしの廊下から、生協からコーヒーを買って中庭に帰ってきたクラスメートを見下ろしながら他愛もない言葉を交わした記憶が、その時の空気の冷たさと一緒に蘇った。

学生生活を奔放に楽しんだ方ではなかったが、良く絵を描いて、飲みにいって、イベントに加わって、議論した覚えはある。

何より,僕の学生生活はバイクと一体だった。赤いヤマハは2週間に一度は洗車していたので、いつもワックスの皮膜が輝いていた。何度か授業時間に山奥のダム湖に昼寝に行った。アニメの最終回を録画するためだけに大分まで出かけた。福岡の本屋に行くために定期的に背振山を越えたし、長旅だと新潟で持っているお金が半分になって引き返してきた。大学で徹夜したらヘッドライトが盗まれていたこともあった。4年間で5万キロ、一日35キロを走っていた。

構内をGSで走ることははばかられたので、正門前で記念に写真を撮った。30年が経っても、僕はモーターバイクが友だちで、本当の友だちとも大切なことを話すことができた。

 

copyright Nobuo Yasutake