PBLで失われるもの

2016年度は、主に未来デザイン研究会に対して9つのPBL(課題解決型の教育)を行った。20余名の学生は一人あたり最大3つほどのプロジェクトに関わりながら、あわただしく一年を過ごしたことになる。

進路を決めなればならない学生にとっては、こうした専門的で社会的な活動に関わったことが自信になることは明らかだろうが、その一方で、同じような時間と労力を、違う勉強に費やしていたら何を得られたのか、と比較することは意味があるし、PBLが内包している価値と課題が明らかにもなる。

学ぶことを、自分自身の変容をもたらすものとして考えると、PBLは現実の社会問題を大人と一緒になって解決するという点で、学生の「態度が変わる」機会となることに大きな意味がある。しかし、大人たちの存在に良くも悪くも左右される点を見落としてはいけない。例えば、都内のICT企業と静岡の企業とでは、企業がPBLに求めるアウトプットの違いが大きい。前者ではデザインシンキングを前提に、学生や研究室と対等にチームを組む意欲があるが、後者は学生をお客扱いか、余興程度に捉える場合もある。その背景には、静岡の企業の多くは、課題の解決について、担当部署に決定権がないということだ。こうした組織の「古さ」が、教育にとっての品質低下、学生の変容をスポイルすることにつながる。

優れた教育成果を生み出すにはは、企業のどのポジションの人間が担当なのか?その人には解決の意欲があるのかどうか?この点を評価しなければならない。同じ時間で、しっかりと理論を理解する方が、変容をうみだす体幹を鍛えることになる方が多いように思う。

写真は2月に神田神保町で開催した、逆求人のサービスデザイン「出張ラボ」

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copyright Nobuo Yasutake