年賀状について思う

研究室のサイトが動いているので、年賀状が気楽になった。「もうデザインしなくていいんだ(笑)」みたいな不思議な感覚。10年位同じデザインで行けることが理想ではないかと思い、少し考えた挙げ句、オートバイのツーリング記録にしました。これから同じアングルで背景とルートだけが変わる仕上がりを目指そう。R1200GS、10年乗りたい。そのためには体力、という図式で過ごし始める2012年。

卒業制作と情報デザインと2011

研究室の学生9名が卒業制作を提出した。いずれも現在のデザイン研究・制作の評価水準に乗る出来映えだと手応えを感じている。
この学年に対して2年次から授業内容を変更し、ビジュアルデザインという所属コースの中に情報デザインの視点を導入したプログラムを数多く行ってきた成果だと思われる。主な試みは次だ。
文献リサーチ、フィールドワークの重視。
KJ法などの発想と企画。
ゴールダイレクトのシナリオ手法。
グループワークやファシリテーションの導入。
企業や行政、市民団体との産学官協同運営。
そしてグラフィック制作物に限定しない、体験デザインの視点。

いずれも「モノ」を作るデザイナーから、「コト」を生み出すクリエイティブシンカーの育成になればと信じて、手探りで授業を組み立ててきた。
メーカーの宣伝部とデザインプロダクションの経験の中で常に覚えていた違和感がある。デザイナーは「生き方を啓蒙する視点」を持っていたいという思いだ。商品やサービスを生み出す過程で作り手がしっかり想像する最終地点は、手に取った形や色ではなく、使い手の興奮や誇り、知識欲や向上心のような目に見えない体験のはずだと、ユーザーの立場で感じてきた。
メルセデスのライトのスイッチをカチリと回す時に指先に感じる「灯りを点して安全を確保しよう」という軽い自信のような意思が、なぜ国産T社で動作する時に感じないのだろう?と思うのは私だけではないのではないか。デザイン、ブランディング、マネジメントに関わる人は、作り手の技術は使い手の気持ちを導くための手段と、明確に定義してよいのではないかと思う。
2008年からの情報デザイン、HCD、UXDの研究と教育の高まりが明快な視座を与えてくれ、自分の授業の自信に繋がったように思う。

授業を変更して4年間。学内では成果の兆しが見られたが、外部からは何も分からないし、社会への還元も不十分だ。いよいよ学生と地域の共同研究の形で情報デザイン、UXDの視点でのビジュアルデザインを強く推進させる段階だと、2012年を迎えてそう思う。

Infographics workshop 4 "静岡"

情報デザインを学ぶ、Infographics workshop 4 "静岡" が無事に成果をあげることができた。過程を整理することで、価値が客観視できると思う。
2010年5月、横浜の情報デザインフォーラムで浅野先生とお話しできたのが起点。「今のデザイン教育はこれでいいのかな?と、感じている人は多いよ」との一言で、奉職している大学のカリキュラムや組織の方向性に矛盾を覚えても間違いではないと(勝手に)腑に落ちて、「今の社会に通用するデザイン教育を実現しよう」と(これも勝手に)盛り上がった(汗)
2010年11月は、同フォーラムの Infographics workshop 3 に参加して、尊敬していた木村博之さんから助言を頂くとともに、社会人と学生が共に学ぶワークショップの効果を実感した。勉強は楽しいし、厳しいし、心細いということを知るのはとても良い。
「静岡で大人の合宿ワークショップやろうよ」と浅野先生が熱意を込めて楽しげに発案していただいたのはこの時。泊まりがけで、時間をかけて、考えて話して交流して学ぶ時間が素晴らしい成果を生み出すであろうことは、ゼミ学生との合宿ワークや、渡欧して英国の大学とのワークショップの経験から想像がついた。懸念はいくつか。情報デザインフォーラムの会員ではない私が主催するのは変かな? 参加者は集まりすぎないかな?  そもそも誰に告知しよう? 大学は支援してくれるかな? 予算は? 一人で全部はできないぞ? と手探りながらも、情報デザインフォーラムの皆さんからの助言をいただきながら、じわじわ現実に近づいた。
一方で、情報デザイン(HCD)を学ぶ実践の場として、「未来デザイン研究同好会」を作り、「Ravensbourne」大学とのデザインコンペ、静岡市の活性化にデザインができることとしての「シビックプライド研究」など、在籍学生に向けたカリキュラムの変更も(勝手に)加え続けた。
2011年5月から8月。関わった学生たちが盛んにデザイン学会、情報デザインフォーラムのワークショップに挑戦しはじめ、経験の蓄積が軌道に乗り始めた。
他方、フォーラム中心メンバーである千葉工業大学の山崎先生が推進される「地域を元気にするデザイン」ワークショップ、原田先生が研究される「リアルタイムドキュメンテーション」との整合性も気にかかる。
どこまでできるだろう?
突破口は、講師を快諾いただいた木村さまの豊富なアイデアと、ドキュメンテーションに学生を派遣しましょう!と申し出ていただいた原田先生。本当にありがとうございます。
常葉側は、3つのチームで動き出した。ドキュメンテーションを学びながら実践に挑むのは、経験豊富な4年のゼミ学生。強く信頼しているメンバーだ。ワークショップに参加し、次世代として情報デザインの学びを身につけるのは2年生。ワークショップという「イベントをプロデュース」するのは心優しい3年生。延べ25人ほどが関わるビッグイベントになった。
それぞれの準備、連携に関してはFacebookに詳しいが、さまざまな混乱も私としては想定内。仕事としての責任感が生まれて、開催2日前ほどにようやく相互の報連相が(少し)かみ合ってきた。
想定外なのは、参加者層。浅野先生、原田先生の学生がはるばる来てくれるのに驚いた反面、数カ月前から参加を呼びかけていた県の西部、中部のデザイン系の大学からはゼロ。(静岡大学さん、浜松デザインカレッジさん、静岡デザイン専門学校さん、ありがとう)。また広告業界の方々、新聞社の方々、多くの卒業生も、空振りだった。秋は忙しいのか? キャンセルも相次ぎ、3年の広報スタッフと定員確保に神経を使う日々が続いた。
宿泊所との契約、会場の手配、facebookの運営、参加者管理、夕食/朝食/昼食のプランと交渉、物品の見積や手配、大工仕事など、裏方の3年生の仕事量は驚く程に多かった。よく不平も言わずにこなしてくれたと思う。感謝している。
こうして、私たちは10月29日、30日を迎えることができた。
講師の木村さま、小島さま、小林さまから運営やドキュメンテーションを評価していただき、肩の荷がおりた。
参加いただいた静岡大学の川原崎先生や多くの方から「充実した」「役に立つ」とメールいただき、嬉しかった。
情報デザインを学ぶ場を作りながら、私たちが学んだことの方が大きかったのかもしれないと、今、思う。
でも、次はありません(笑)。誰かが私に「やりたい」と持ちかけてくれる時に、ものごとが動き出すはず。
経過はこちらから。http://www.facebook.com/pages/Infographics-workshop-4-静岡/164569780299447

やまなみハイウェイ

フェリーで対岸の臼杵に着くと正午だ。真夏の日差しがある。この日は37度だった。グローブは夏用だけど中で手の甲が汗をかいているのが分かる。57号線を西に向かい、竹田から北上して九重のやまなみハイウェイに。実は熊本育ちなのにこれまで走ったことがない。ミッドタウンに行かない青山住まいとか、寿司を食べたことがない日本人と同じか(汗)オートバイ乗りの聖地の一つなのに。
ぐいぐいと標高を上げるにつれて、緑が濃くなっていく印象がある。山々の稜線は険しい。九州という南北300km、東西200kmの大地の真ん中に近い、広い高原の中にいる実感がある。空が近く、見渡す限り大地が続く。行き止まりに感じてしまう海までは遠く、走りがいのある道が前後左右に伸びている幸福感は、九州ならではだ。男性的な光景だと思う。
阿蘇の外輪山を降りて、根子岳を回りこんで高森町、南阿蘇のカフェ通り(勝手に命名)を経て熊本市内に入ると、土砂降りになった。市電の線路は石畳みでよく滑る。夏の最期を実感できるフルコースだ。
昔、片岡義男さんが書いた「オートバイに乗るのは日本の地理の勉強だから」というくだりは、今も共感できる。

しまなみ海道

いくつもの入り江にさざ波が寄せ、木々の影が揺れている。海と島と空でできた光景は、慎重に構図が考えられた絵のように、美しい。外界から護られた、祝福された土地のようだ。台風12号の接近をブロックしているという強い高気圧の気配がわかる、夏のまっすぐな光線が景色にさらに魅力を加えている。来て良かった。あの道は良いよ、と勧めていただいた浅野先生、ありがとうございます。GS乗りの大先輩。
しまなみ海道を走る我々に、瀬戸内海は次々に魅力を見せてくれた。季節と天気と体調と、いろんな条件が整ってこうした時間が生まれる。オートバイに乗るのは、リスクを想定して、なお立ち向かう冒険心が不可欠だろう。気持ちが緊張している分だけ、感受性も鋭敏になる。
仕事上のリスクは平気な方なのに、プライベートだと歳とともに安全第一になってきた。石橋叩いている内にタイミングを逃しがち。生きる力も落ちてきているのではないか。オートバイに乗る行為を望んでいるかどうかは、気持ちの強さを測る象徴かも。
というような遊ぶ言い訳を考えるのは昔から上手い。
6時に出て東名、東名阪、新名神山陽道を西福島まで。今治シビックプライドセンターを訪問後、今治小松道、松山自動車道を経て八幡浜市へ。伊予市で夕暮れを迎える。薄暮の中に知らない土地を走る心地いい孤独感を満喫したのは、何年ぶりだろう。

森本千絵さんと広告

SCCさんが企画された森本千絵さんのトークセッションにお邪魔した。実行力あるなぁ、JAGDA静岡としては反省。会場は広告業界の皆さんでぎっしり。これほど若い、女性比率が高いデザイナーの集会はおそらく静岡では始めてではないか。ポジティブなエネルギーが満ちている。
セミナーはいつも楽しい。お話の中身をそのまま受け取るというよりも、内容によって自分の考えが触発されて、普段は繋がらないアイデア同士が結びついて整理される。メモを取りながら、違うことを考えていることが多い。みんな結構そうでしょ?
「広告は、売り買いを、幸せな場に変えること」
「この○○はあなたが好きです、という原点で既に、ユーザーの暮らしを尊敬する思いが含まれている」
「みんな、共感したがってる。広告は、そうそう、大事だよね、とみんなで確かめる機会を作る」
「人生への愛」なんてことを図形や文字でごにょごにょ書きながら、彼女のような仕事をする人がいる限りは、広告の本質的な役割は終わってないと感じた。広告はこれまでにも増して、クライアントのマーケティングツールの位置から、ブランドが提示する約束へと進化しているのだろう。情報化による生活者の世界認識の拡大が、企業を変えている。変化に気がついている人たちが言う約束や生み出す商品は信じられるし、その広告には魅力がある。

BBQ2011

今年も美術家のIさんからお誘いをいただいて嬉しいバーベキュー。ハンバーグ、豚バラ肉を玉ねぎと香草のソースにつけ込んだ塊に加えて、今年はスモークチキンが登場した。これって自家製のハムだよね。いくつかの流れの途中でイカのチーズリゾットも挟まりながら数時間、にこにこ食事させていただきました。
リビングには「暖炉」がこの夏に完成したということで、11月からはいよいよ薪をくべる暖房ライフになるそう。専門書の助けも借りながら、基本的にはご自身で設計して加工されている。そもそも自宅自体がほぼ自作のような構造で、本人たちの家族観でディテールが作られている。どの空間にいても家族の声が少し聞こえて、音楽が聞こえて、本棚と美術作品が手に届く。いろんな気配が微妙に区切られながら漂っていると思う。家もごはんも、工夫して作るものですね。

copyright Nobuo Yasutake