フランクフルトからスヘルトヘンボスへの一週間

2011年11月、オランダにアーティストインレジデンスで滞在制作中の妻を手伝いに行く。マイレージの航空券の都合でフランクフルトに一泊し、電車で4時間ほど。珍しく機内で体調を崩したせいで、空港から中央駅近くのホテルに移動するのにストレスを感じる。冬の夜に着く初めてのヨーロッパの空港、というものは、ほの暗い照明とモノトーンの色調が合わさって心休まる要素がない(ように感じる程、疲れていたのだ)。到着した第2ターミナルから公共交通機関がなく、第一ターミナルまで行くバスを探し「何となくこの辺で待て」と言われる。「旅行者の不安」というエッセイが書けそうな心境で色んな人たちとざわざわと待つ。結果的に少し離れた場所にバスが来てみんな慌てて走る。

ドイツの券売機は、20代でミュンヘンで手こずった時のまま、理解に時間がかかる。「中央駅」というドイツ語を覚えていないのが原因。Central~のような想像して分かるスペルではないからか。横のおじさんに頼んで買ってもらう。その中央駅のすぐ左横にあるはず、というBooking.comの記憶でホテルを探す。
翌日の移動のチケットを買いにDB(ドイツ鉄道)の窓口へ。たぶんこうじゃないかというルートと乗継ぎ駅を紙に書いて窓口のおじさんと相談。ホイホイと発券してくれる。移動手段が確保できて頭痛も収まり、市内へ出てみる。自分では移動の勘は悪くない方と思うのだが、相性が悪いのか、UバーンSバーンの乗り場を結構探す。何かおかしい。夕飯は美味しいドイツビールだっ、と思いつつもなぜかタイ料理に入ってほっとして、もう一度DBで復路も予約してホテルへ帰る。


移動日2。ICEの指定号車の止まる場所は曜日で変わるとホームにちょこっと書いてあり、探していても列車は来ず。結局40分遅れて出発して、デュッセルドルフに着くと予約した乗継ぎ便はとっくに出ていた。やれやれ。普通列車で国境の向こう側まで。車中はサッカースタジアムへ向かうドイツ男たちの宴会場になっていて、応援歌の中、ビール瓶が次々に床を転がっていく。土曜日だ。Venloで乗換えようとすると駅舎から出て右へと言う??すこへ「日本の方ですか?」とT芸大院卒のKさんから話しかけられて、彼女の行動力のお世話になって一緒にバスで(汗)次の乗換え駅に向かう。心細かったという彼女から感謝されている様子だが実は逆で、助けてくれてありがとう!バスに乗り換えるなんて発想はなかった。
アイントホーフェン駅から再びインターシティ列車でスヘルトヘンボス(デンボッシュ)へ。着いた。落ち着いたとても良い街。タクシーと少し交渉して10ユーロで妻が働くukwcへ。何か効率が悪い一日だ。スーツケースを持って列車を乗り継ぐのは止めようと強く思う。
この後、数日は彼女のアシスタント。仕事は量も質も厳しくて、夜も朝も宿舎とスタジオを往復しているけれど、さまざまな国から来ているアーティストたちとのご飯の時間の会話が(聞いているだけだけど)楽しい。犬(名前はまろ)もいるし。
半日、ブレダ市のグラフィックデザインミュージアムへ。3月に開いていなかったんだ、学生と来たのに、と少しアピールしたけど、ごめんなさいね、と笑顔で軽くいなされる。グラフィック=ビジュアルコミュニケーションとは万人にとって楽しいもの、という姿勢を感じる。特に、子どもたちがグラフィックの魅力に(文字、色、形、絵、質感を同時に楽しめる大きなサイコロ遊びで)気づくようなプレイルームの存在が象徴的。人間の暮らしや知覚にとって、グラフィックやプロダクトという縦割りの能書きは意味がない。好奇心が豊かになって、美しいものを大切にする気持ちを持つのが大切なのだと改めて気づかされた。

妻のファイナルプレゼンテーションが成功し(良くやりとげたと思う、身内ながら尊敬してる)、翌日は往路と逆にフランクフルトまで戻る。Venloのホームで乗継ぎを待っているとインド系のおばさんが「あなたドイツ行くんでしょ、ここじゃ駄目。もっとホームの先へ行きなさい。後ろは途中で切り離しちゃうのよ、みんな分からないわよねぇ」と教えてくれた(と思う)。日本にいても、それはある。

ごそごそと乗換え乗換え、今後は第1ターミナルから第2へモノレールがあるのを発見した。古い空港はショップの数も質も古い。(第2ターミナルはチェックインしてもカフェバーが2つ、ショップも数軒しかない!)はじめて、成田空港に着いてほっとした。こんな旅の苦労が、結構好きだからまたあちこちに出かけるのだろう。妻は一日ずらして帰ってくる。

copyright Nobuo Yasutake