マラッカ2


1日目:ショップハウスが並ぶジョンカーストリートを歩く。観光客と車に少しストレスを感じて早々に川沿いのカフェでビールで乾杯する。妻が久しぶりにリラックスしているのがわかる。イスタンブールの時もそうだった。日常を置いて、日本語でない場所まで来ると本来の伸び伸びした自分に戻るのだろう。今夜も、明日も、心配事はない。締切も交渉もない。コミュニケーションは自分がしたい時にしたい人とだけすればいい。
マラッカはいい空気だ。海峡の街だからか、湿気がないそよそよとした風が日陰を抜けていく。夕方からはホテルの地図を頼りに小さなレストランを探して歩く。小一時間迷走して(地図に道路が2本足りなくて迷った)休業だった。近くの屋台で軽くつまんで、タンドリーチキンで有名な屋台で食べ直す。地元の人が車でどんどんやってくるだけのことはある。香りがいい。
2日目:二人とも行きたいところは似ている。郊外の中国人墓地がある公園へ歩きだす。珍しく極端に道に迷う(理由はあるのだが)。立ち話をしたロンドンの老夫婦の言葉遣いの美しさと礼儀但しさが嬉しい。娘さんは松本に住んでいるのよ、という具合に、こういうところを夫婦で気負いもなく旅をしている人たちはどこか生き方が開けていると思う。
帰りにまた川沿いカフェに寄ると、店のオヤジは少し愛想が良くなっている。食堂で茹でたピーナッツスープ(お汁粉?)とワンタン。ガイドブックに乗っているお店に行くと今ひとつ感慨がない。夕方はホテルの中庭で本を読み(現代写真ガイドブック)、近所のバーで夕涼みして、またタンドリーチキンを食べに行った。ホテルに蚊がいないなぁ、と感心していたらスタッフが肩下げの噴霧器でもうもうと殺虫剤を振りまいていた。写真はこっちにも。http://www.flickr.com/photos/nobyas/

SHOEIとSENAと九州

6年ぶりにヘルメットを新調した。10数年ぶりの日本製だ。購入には2年近い曲折があり、イスタンブールのバイク街でGIVIは置いていないのかと交渉したり(トルコには同一生産で別ブランドがあり、そっちにしろと散々言われた。イタリアは隣国なのに扱わないらしい)、ドイツ製のSCHUBELTは業者トラブルで日本内で取扱い中止になり、BMW純正を探して都内のショップを回っても在庫がない。銀座のMOTOMORIDAで扱っていたフランス製は着用した瞬間から頭痛がしたし、地元の量販店で国産数社を試して耳が切れたりした(僕は耳が大きいようで、そういえば20代で使っていたSHOEIも被るたびに出血していたのを思い出す)。ネットレビューは何度読んだことだろう。そうこうしているうちに1年前から検討していたSHOEIのモデルが1万円近く値下がりして、差額でBluetoothインターコムをつければ良いのだと思い至った。
アメリカ、SENA社のSMH-5を謎の業者から通販するとソフトアップデートの対象外で、本国サイトから正規ユーザー登録してみると上手くいった。
GW前に取付けたが、試す間もなく九州ツーリングへ。
夜に静岡を出てSAで仮眠しながら西へ向かう。寒さと空腹と寝不足の、こんな旅は久しぶり。楽しくはないが、開放感はある。GSはもちろんご機嫌な様子で夜の高速道路を悠々と滑空している。時間はあるのでPA、SAごとにサービスを比較しながら走る。インターコムの効果は充分で、ヘルメットの中で音楽が聞けるのは、これまで我慢していたのを悔やむくらいに快適だった。
山口県湯田温泉で一泊して関門海峡を渡ると、もうホームにいる感覚がある。九州の山も平野も自分を迎えてくれるように感じる。10代のむき出しの自分だった頃の記憶が浮かび上がってくるからか。自分が自分らしくいた土地だからか、と妙に内省的に思う。
1000km程度の旅だが、何度も着脱を繰り返した僕の右耳はやはり赤く皮が剥けてきた。

マラッカ



旅は表を作ることから始める。縦軸が日にち、横に行程。空っぽの表を横において、ホテルの空きを見比べて、少しずつ現実性を確かめていく。
街の成り立ちを考えながらホテルの立地を想像するのは楽しい。移動しやすいか、生活雑貨を売るお店が近くにありそうか。繁華街から離れれば広い部屋とプールがありそうだし、街中なら疲れたら戻って休めそう。バリみたいにオートバイを借りたりすると条件は変わってくる、みたいに矛盾した優先順位のもやもやが、これまでに行ったことがある街と比べつつ考えているとやがて勘が効いてくる。ホテルそのものの決め手は文化性や歴史性にしてみたい。仕事じゃないし。
ネットから部屋の空きを睨みながら予約できそうな可能性が組めてきたら、飛行機の候補を出してみる。でもBooking.comだと、このお部屋はただいま3人が検討してます、みたいに表示されて焦る。オマーンの○○氏が20分前に予約しました、なんてね。はらはら。
マレーシア、だからエアアジアを使ってみたい。LCCA、格安航空便の代名詞みたいな存在だから我慢が多いと嫌だな、と少し思いながら。
こうして休み休み、一週間程ぼんやり進めながら行程を決めた。
旅の構造を作る要素はやはり複雑だ。僕にとっては、予測できる範囲の快適さとその場で対応する冒険度合いのバランスが7:3位くらいかな、と思う。年とともにリスクを避ける傾向があるのは良くないけれど。一人ならどこで何しようといいんだけどね。健康体で帰ってこなきゃいけない。

プラナカンというのは裕福な中国系の移民の子孫とされるが、その生活様式が建築や料理として現代に残っているのがマレーシア、特にマラッカとペナンだという。女性の地位が高いのも印象的で、ニョニャという女性たちが受け継いだ文化が保たれている。かわいい、お菓子みたいな建物もお菓子もフォトジェニックだな。

羽田空港の近くにN-ONEを一週間停めっぱなしで行く。軽自動車だけど130kmくらいでもしっかり走ってくれる。あれ、新車だから慣らしは?、というよりも速度違反。
エアアジアはターミナルの端っこ。場末感があるが仕方ない。一人往復50,000円だ。九州に帰省するのとほぼ同じ。追加したオプションは足元が広いホットシートと毛布、スーツケース運搬料ww。23:45発で06:15着だけど、いつ、どうやって毛布を届けてくれるのかと思ってた。水平飛行に入って随分経ってから、リストを片手に真っ赤なスーツの乗務員さんがやってきた。事前に頼んだもの以外はノードリンク、ノーフード、機内サービスはありません。おやすみなさい。
クアラルンプール空港からはマラッカまでタクシーを使う。219RM、6,800円、1,5時間。安くないけど、バスを探して乗り継ぐストレスは避けた。そもそもLCCTのターミナルは正規の空港ビルの反対側で公共交通機関の利便は敢えて使いにくくしてあるように思える。これに比べれば一昨年苦労したフランクフルト空港なんてかわいいもの。
タクシーは高速道路を目一杯走る。マレーシア産の車は足回りが弱そうだ。左右はずーとヤシ畑?が埋め尽くしている。時々アウディBMWメルセデスの御三家のセダンが走行車線側から追い抜いて行くが、マナーはとてもいい。フランス車はほとんど見ない。トヨタ・カムリ、ホンダのアコードがぴかぴか立派で誇らしそう。ブランドだ。

Hotel Puriはマラッカ市街のちょうど中心部だ。18世紀のプラナカンの豪邸を改装して、どのサイトでも評価が高い。その理由はすぐ分かった。9時に着いたのにてきぱきとお部屋を用意してくれる、朝ご飯も案内してくれて、ホスピタリティが現代的で国際的なのだ。ジュニアスイートの部屋も鉄と木をあしらったメゾネットになっている。モダンで清潔。Wihiも使える。
マラッカの街に歩き出した。

未来デザイン合宿 in 下田

2年続いた伊東市を離れて下田市で合宿ワークショップを行った。
新しい観光キーワードを抽出する目的で、ビーチと市街地を対象にしたフィールドワークからラピッドエスノグラフィーを学ぶ内容だ。2年7名、3年14名、4年9名、計30名の学生が7班で行動し、初日はフィールドワーク、2日目にカードソートを行う。「ユーザーの潜在的ニーズ」「観光の潜在的魅力」をそれぞれ抽出していき、双方の関係性から未開拓の観光要素を分析する。
14時に下田駅前からバスで5つの浜に出発。私は最も規模が大きな白浜大浜行きのチームに同行する。15分程度のバスなのに320円!家族で行けば1,000円近い。観光地ならば夏期は安いチケットを販売してはどうなのか?こういう細かなサービスをアップデートできない(する体力がない)観光地は時代から遅れつつあるのでは、と予感する。
白浜でバスを降りた我々に声をかけてきたのは、ビーチパラソルレンタルの大学生アルバイト、1,000円。幅800mの広大な浜一面にパラソルが並ぶ姿は圧巻だが、冷静に観察すると、海、白い砂、企業ロゴ入りのビニールパラソルかテントの日陰、だけで構成されているのがここの特徴だ。冷えたカクテルを運んでくれるギャルソンや、ガイドブックで評判になるようなデザートを出すような気の利いたカフェはもちろん、「海の家」もない。その原因は地理的な構造にあって、国道が海辺とコンビニやショップを分断し、利用者は混雑した舗道を歩き横断歩道を渡って浜へ降り、帰ってくる。ユーザーの行動は物理的に分断されているのだ。これは日頃のストレスを癒す海のリゾート、ではなく人と車の渋滞からストレスをもらう海水浴場である。
しかしそう思う人は来ない、というのも真実であり、こうした混乱を当然のこととして受け止めて、跳ねかえす気力体力のある人々が集うのが白浜だとも言える。現状のユーザーの生活感や価値観を無視しすぎた提案はごり押しになる。彼らの心にある「でもちょっと、こんなことがあれば」という小さな望みを観察できるかどうか?が学生に課せられた課題だ。例えばパラソルを借りた人、貸しているアルバイト学生、テントを持ち込んだグループ、クーラーボックスの中身、飲んだり食べたりしているモノ、国道沿いの売店にある「富士宮焼きそば500円」(これかかき氷しか選択肢がない)の注文率、温水シャワー500円の利用者の顔ぶれ、駐車場の車の都道府県、家族構成、年齢層、etc..観察項目は増えるばかりだが、難しいのは観察者側にも居場所がないという白浜のロケーションだろう。学生が「先生、私たちと一緒に居た方がいいよ」と言ってくれる。「一人だと不審者にしか見えない」そうである。確かに。
分かれて16時のバスで市街地に戻り探索する。日曜夕方とはいえ観光客が散策したくなる要素は少なく、ペリーロード周辺に限られる。キャンドルナイトを含めて観察して20時過ぎにI旅館に入る。
鍵が無い、ドアが開かない、虫がいる、浴衣が無い、タオルがない、トイレが古い、部屋のお風呂が、と不安が噴出するが、ミーティング中に「普通は開かないだろう」というドアが開いておばさんが顔を出し、「遅れたお客様が玄関にお着きになりました」(全員居た)という案内で、何やらホラー旅館との笑いに落ち着く。文化の大切さを説く女将さんに学生が「むしろ彼女にサービスの文化を教えてあげたい」と言った(汗)
22時過ぎからは夜話会。デザインの話、HCDのこと、ワークショップや部活の運営、インターンシップ、就職などの話が切れ切れにあったり、ジェンガが続いたり。大学は生き方を学ぶ場所であって、技能を覚える場ではないことを未来軒の彼女たちは知っている。25時頃に就寝。
9時からワークショップ再開。学生はカードにニーズと魅力を書き出していく。しばらくするとグループごとに課題が生じるが、主に3つに大別される。(1)記載の方法に悩む:抽象的な単語で書き出すため、具体的な状況描写がなくなり、グループ間で想像力が共有されず議論が活発化しない。(2)語彙に悩む:ニーズに該当するコトバ、魅力に該当するコトバに着地しないため、議論が本質に到達しない。(3)喋らない人が多い:分からないから喋らない、という日本人ならではの妙なプライドがあるグループは次第にどんよりしてくる。グループワークは水ものではあるが、鍵を握るのはやはり、構成員が成功意欲を持っているかどうかだろう。授業と違い、自分から予習復習をしない人は(社会と同じように)厳しいのだ。課題や解決方法は事前に提示してあったのに、予習しなかった部員も少なからず居るのはけしからん。甘えていないで自分で本を買って読みなさいw グループに順に指摘して回り、自主的に議論が活発化するようにしむける。後から聞いたが、海岸でカードソートしていた勇猛な班も居た。必要だと思うことを勇気を持って行うのは素晴らしい。私も見習らわねば。
16時から発表。中でも観察に丁寧に取り組んだA、B、F、Gチームが論理性と意外性を兼ね備えた結論に辿り着いたようだ。出発前から指摘していたように、ビーチについて最初の10分で観察の分野と役割が適確化できたかどうかが成否を分けており、一目瞭然でカードの枚数に比例している。つまり多様で具体的な情報を揃えたチームが強い。反対に観察対象が重複したり、細部に疑問を持たないまま固定観念でメモをしていたチームが苦戦したのではないか。同行した白浜は2つのチームが分析していたが、私の観察と比較して良かった点は利用者に取材をした点だ。逆にビーチの構成要素の観察は規模が小さく、複数人で手分けしていれば背後の飲食要素や物販要素の情報も集められたはずなのに、と思う。ビーチの規模が大きく学生は気後れしたと言っていた。
発表には下田市の地元活性化の活動をしておられる商工会議所関連の青年2名が同席された。こうしたユーザー利用から価値提案に繋げる視点はプロにはできない。先入観がなく、既得権益に無関係な学生だからこそできることだ、と感銘を受けておられた。学生は私に見せない場面でさまざまな葛藤や不満があったことだろうが、よく自制してくれている。有り難いし、頼もしい。例年と比較して、デザイン開発を学ぶにおいて「嘘がない」思考と行動を学んだとしたら最大の収穫だ。

白浜海岸でフィールドワーク開始

合宿部長+アトラクション隊長の活躍。にしても昭和すぎ。

カードソートはUX_Shizuoka参加学生の活躍が頼もしい

Aチームはインタビューのボリュームと発案の強さが特徴

Bチームはカードソートの論理性が上手い。丁寧で嘘がない

Eチームは経験者不足にも関わらず迷走を抜けて達成した

Fチームは観察視点がユニークだが、模範的なプロセスをものにした

Gチーム(海岸カードソート!)膨大な情報を凝縮していくセンスがある

帰る場所

梅雨の湿気を根こそぎ蒸発させるような猛暑日が、たまに訪れる。雲が高くて空の水色が深い。郵便局へ行くのを口実に夕方6時過ぎからGSで少し走る。ピンクに染まる港町を歩くのは、浴衣を着た中学女子だ。短髪に原色が映えて、生きがいい金魚の群れのよう。今日は駅前の商店街で七夕祭りがある。
夏、夕陽、乾燥した風、遠くの山霞。こうした光景は目のごちそうみたいに嬉しくなるし、これまでに手にした時間や場所の記憶が断片的に戻ってくる。
この瞬間は忘れないだろうな、と感じる光景にオートバイで走っているとよく出会うものだが、それは399号線で八ヶ岳を超える時の真っ白い壁のように立ち上がった積乱雲だったり、一面のすすきがオレンジに染まって異様なコントラストになった1月の愛鷹山だったり、野宿場所を探して無人駅を探している夕方の小松市だったりするのだけど、何度も目にしたような普通の景色も蓄積されていて、信号待ちのふとした瞬間にそうした時の気持ちが蘇るようだ。
美しい光景との出会いをたくさん持っているのは良いことだろう。自分だけの帰る場所が用意されているようにささやかで贅沢な心境なのだ。

日本デザイン学会で札幌へ

22日(金)から2泊で札幌市立大学で開催される日本デザイン学会へ行く。シビックプライド研究のポスター発表だが、担当した学生6名が会場プレゼン予定なので実は気楽。次回からは学部生も学会会員になって、「名義貸し」ではなく自前で発表してもらおう。
大学は札幌市内から地下鉄とバスを乗り継いで40分。札幌芸術の森札幌芸術の森の横というか中にある。
定員80名というデザイン学部だが、たっぷりとした校舎にほれぼれする。あちこちのパブリックスペースはディスカッションに有効だし、吹き抜けの空間は視線を遠くに伸ばせる気持ち良さがある。スケールが大きな空間は、思考や作品を客観視するのに有効だ。
デザイン学会は重鎮を敬うような上下関係がなく、多様な試みが「デザイン」という「問題解決型思考」として討議される。情報デザインの分野に基本も分からずに入った私だが、教育プロジェクトを重ねるうちに理解ができてきたようで、ビビッとくる発表に出会うことが多くなった。少し賢くなったか。

「地域コミュニティ」「ユーザー体験」の研究が充実してきた印象で、自身が関わるシビックプライド醸成のためのデザイン活動が勇気づけられる。それにしても数年前には見受けられたグラフィックやタイポグラフィなど「モノ」研究はすっかり影を潜めた感がある。教員も学生も企業も情報デザインという括りで「コト」デザインの知見を蓄積しているようだ。
懇親会で熊本の崇城大学の森野先生、専修大学の上平先生、静岡文芸大の伊豆先生と話ができた。学会なるものに顔を出して何年目だろう。自分の立ち位置がはっきりしてきて、ようやくリラックスできたようだ。やりたいこと満載。

名門太陽フェリー

小雨まじりの中を九州自動車道を新門司港に向かう。大阪の泉摂津行きを予約したフェリーまで2時間くらい。途中の広川SAでハーレー乗りの若い女性と話していたから(大阪からの一人旅で別府で大雨に降られたらしい)少し急ぐ。新門司港に着くあたりで数台のオートバイ乗りと一緒になってフェリーへ向かうと、路上で待ち受けた係員が「もうすぐ出るから乗りましょう、切符は中で手続きします」と誘導してくれる。「お名前は?」まだ20分位あるのにな、と彼らの勢いのままGSでタラップを上がると1分後位に甲板扉が閉まった。間に合った。
船内フロントでチェックインしようとした瞬間に、行き先が大阪南港という表示に気がついた。これは阪九フェリーではない。でも船は海の上。話し合った結果、予約センターの女性は「よくあるんですよね」という苦笑まじりに(そう聞こえた)負担なしでキャンセルしてくれた。続いて新たに手続きをして、空いていた2等船室へ行く。大勢で雑魚寝だが、意外にも互いに全く干渉せずにいて、これはこれで安心する。
朝4時半に放送で起こされて南港に降りる。まっすぐ(本当に一度も曲がらずに)東に10km走って、近畿道を北進して阪神自動車道に合流。新名神から東名へ。京都と豊田で50kmほど渋滞した。GWだった。13時に家に着く。往復1,800kmだった。

copyright Nobuo Yasutake