道後温泉から熊本へ

10時に1200GSと出発して愛媛の道後温泉に着いたのは18時。新東名から新名神、神戸から明石海峡を渡り(高所恐怖症にはつらいよ)淡路島へ。島を走ると視界の端はしにちらっと光る海面が見える時がある。時速70km程度で移動している自分の位置から海岸線までの距離や、その海の向こうにあるはずの島々や街の様子を頭の中の地図で想像しながら走る。島にはたくさんの輪郭線がある、と嬉しく思う。
さぬき市のサービスエリアではうどんを茹でるざるがある。お客がしゃっしゃっと茹でる仕組みに少し驚いた。ダシはたくさん入れた方が良い、と店員さんが教えてくれた。
松山市は「いで湯とお城と文学の街」だという。価値を絞り込める街は強いね。景観に神経が使ってあるし、お店のオリジナリティも高い。気が利いているから、居心地がいい。夜の市電で道後温泉へ行く。
翌日は9時に出て八幡浜からフェリーで大分の臼杵国道57号線からミルクロードをかすめつつ熊本市内へ入ったのが17時。少し余裕がない行程を組んだが、1,000kmはGSを味わうのはちょうどいい距離だった。

第9回情報デザインフォーラムに参加

情報デザインフォーラムには120名が参加された。若くて物腰に節度が感じられる人が多く、他の教育系やデザイン系のセミナーと雰囲気が違うように思う。理系でクリエイティブな企業人や会社員経験者(?)という感じか?
情報デザインを推進するワークショップの報告が公開される。千葉工業大学山崎先生の事例は、産業界の価値の創造に向かって教育界からアプローチし、常に新しい視点を開発しながら研究に終わらず、売れるモノにまで仕上げていかれる。前例がない。公立はこだて未来大学の原田先生は(函館に移られて簡単にお会いできにくくなってしまった)グラフィックの表現力とビジネスの成功条件を情報デザインという客観的な問題解決手法の中で融合されていると思う。プロセスと表現の力を両輪のように走らせるのは、どちらか一方だけ教えるのに比べて遥かに難しいと思う。グラフィックという産業の次の姿の一つではないだろうか。

安藤先生の、マーケティングの経験を発展させた「全てのデザインはサービスデザイン」という指摘に大きく共感して勇気をもらった。木村博之様のレクチャーではインフォグラフィックスについてのあり方を「一義的な理解」ではなく「意識を変え、人々のつながりを有む」力に展開されていた。木村様とお話すると3.11以降、デザインの役割が変わったのだということがしっかり分かる。浅野先生の事例を伺うと、情報デザイン、UxはISOの改正によって生まれた黒船のようなものではなく、これまで潜在的に必要とされていたデザインのあり方が、コンピュータの発達によってようやく生活者のものになったのだと感じる。デザインは表現中心でも企業中心でもない。私たちのグッドライフのためにある人間中心の活動なのだ。教員になって10年ほど前から「グッドライフのためのデザイン」をごにょごにょと言い続けて私にとっては、しっくりくる時代が来たように思う。
17時からはパネル発表。常葉からは2案を貼り、3年、4年、卒業生がプレゼンして貴重な意見をいただいた。彼女たちは堂々として楽しそうで、大したものだ。次を担う2年生も4名が参加した。常葉も良い学びの環境になってきた。

フランクフルトからスヘルトヘンボスへの一週間

2011年11月、オランダにアーティストインレジデンスで滞在制作中の妻を手伝いに行く。マイレージの航空券の都合でフランクフルトに一泊し、電車で4時間ほど。珍しく機内で体調を崩したせいで、空港から中央駅近くのホテルに移動するのにストレスを感じる。冬の夜に着く初めてのヨーロッパの空港、というものは、ほの暗い照明とモノトーンの色調が合わさって心休まる要素がない(ように感じる程、疲れていたのだ)。到着した第2ターミナルから公共交通機関がなく、第一ターミナルまで行くバスを探し「何となくこの辺で待て」と言われる。「旅行者の不安」というエッセイが書けそうな心境で色んな人たちとざわざわと待つ。結果的に少し離れた場所にバスが来てみんな慌てて走る。

ドイツの券売機は、20代でミュンヘンで手こずった時のまま、理解に時間がかかる。「中央駅」というドイツ語を覚えていないのが原因。Central~のような想像して分かるスペルではないからか。横のおじさんに頼んで買ってもらう。その中央駅のすぐ左横にあるはず、というBooking.comの記憶でホテルを探す。
翌日の移動のチケットを買いにDB(ドイツ鉄道)の窓口へ。たぶんこうじゃないかというルートと乗継ぎ駅を紙に書いて窓口のおじさんと相談。ホイホイと発券してくれる。移動手段が確保できて頭痛も収まり、市内へ出てみる。自分では移動の勘は悪くない方と思うのだが、相性が悪いのか、UバーンSバーンの乗り場を結構探す。何かおかしい。夕飯は美味しいドイツビールだっ、と思いつつもなぜかタイ料理に入ってほっとして、もう一度DBで復路も予約してホテルへ帰る。


移動日2。ICEの指定号車の止まる場所は曜日で変わるとホームにちょこっと書いてあり、探していても列車は来ず。結局40分遅れて出発して、デュッセルドルフに着くと予約した乗継ぎ便はとっくに出ていた。やれやれ。普通列車で国境の向こう側まで。車中はサッカースタジアムへ向かうドイツ男たちの宴会場になっていて、応援歌の中、ビール瓶が次々に床を転がっていく。土曜日だ。Venloで乗換えようとすると駅舎から出て右へと言う??すこへ「日本の方ですか?」とT芸大院卒のKさんから話しかけられて、彼女の行動力のお世話になって一緒にバスで(汗)次の乗換え駅に向かう。心細かったという彼女から感謝されている様子だが実は逆で、助けてくれてありがとう!バスに乗り換えるなんて発想はなかった。
アイントホーフェン駅から再びインターシティ列車でスヘルトヘンボス(デンボッシュ)へ。着いた。落ち着いたとても良い街。タクシーと少し交渉して10ユーロで妻が働くukwcへ。何か効率が悪い一日だ。スーツケースを持って列車を乗り継ぐのは止めようと強く思う。
この後、数日は彼女のアシスタント。仕事は量も質も厳しくて、夜も朝も宿舎とスタジオを往復しているけれど、さまざまな国から来ているアーティストたちとのご飯の時間の会話が(聞いているだけだけど)楽しい。犬(名前はまろ)もいるし。
半日、ブレダ市のグラフィックデザインミュージアムへ。3月に開いていなかったんだ、学生と来たのに、と少しアピールしたけど、ごめんなさいね、と笑顔で軽くいなされる。グラフィック=ビジュアルコミュニケーションとは万人にとって楽しいもの、という姿勢を感じる。特に、子どもたちがグラフィックの魅力に(文字、色、形、絵、質感を同時に楽しめる大きなサイコロ遊びで)気づくようなプレイルームの存在が象徴的。人間の暮らしや知覚にとって、グラフィックやプロダクトという縦割りの能書きは意味がない。好奇心が豊かになって、美しいものを大切にする気持ちを持つのが大切なのだと改めて気づかされた。

妻のファイナルプレゼンテーションが成功し(良くやりとげたと思う、身内ながら尊敬してる)、翌日は往路と逆にフランクフルトまで戻る。Venloのホームで乗継ぎを待っているとインド系のおばさんが「あなたドイツ行くんでしょ、ここじゃ駄目。もっとホームの先へ行きなさい。後ろは途中で切り離しちゃうのよ、みんな分からないわよねぇ」と教えてくれた(と思う)。日本にいても、それはある。

ごそごそと乗換え乗換え、今後は第1ターミナルから第2へモノレールがあるのを発見した。古い空港はショップの数も質も古い。(第2ターミナルはチェックインしてもカフェバーが2つ、ショップも数軒しかない!)はじめて、成田空港に着いてほっとした。こんな旅の苦労が、結構好きだからまたあちこちに出かけるのだろう。妻は一日ずらして帰ってくる。

機械好き

随分前になるが、1200GSにGARMINのナビを直結した。こういうカスタム好きというのは必ず先人がいて、しかも必ずブログに書いてくれている(はず)。複数の記事から推察して幾つか組合せられそうな部品を注文する。しかし肝心な取付け、配線を実践したくだりになると「ここでショップに頼んで..」となるページしか見つけられず。結果的にフランス人とドイツ人のサイトをじぃぃっと読みながら踏み切ることにした。車体のコンピュータが誤信号と判断しないような配線が難しいらしい。後日、日本人のサイトを見つけたが、かなり違っていた(汗)。無事に動いて良かった。

1 サイドフェアリングは最前部のトルクスねじで外す、と書いてあるページは無かった。

2 樹脂製のタンクの左側のフューエルパイプを外す。

3 外したらガソリン漏れに備えてウエスを利用。

4 車体右。パイプは外す前にナンバリングをしておく。

5 車体右。タンクを外すために固定金具を外す。

6 写真右のエアクリーナー前面にツアラーテックの電源ユニットTPS15を貼付ける。

7 シート下部の円筒形ユニットの緑のケーブルの一部を剥いて配線する。ここがキモ。

8 TPS15への電源はバッテリーから供給する。

9 TPS15からナビまではサインハウスのDC12V-ミニUSB DC5V変換パワーケーブル。ナビ固定はテックマウント製。

10 配線完了。

11 タンク取付け後。中央のエアクリーナーの前にTPS15

2012年度の仕込み

4月からの授業の仕込みの詰めの毎日。今日は未来デザイン研究会の年間計画作り。意欲がある学生たちと話すとアイデアが次々出てきて、学びは相乗効果だなと感じる。ところで「楽しくて役に立つ」「投資に見合うリターンがある」ことは学部教育でも有効だろうと思う。このところ教員としての鮮度を上げる必要が試されているようだ。10年前と異なり、情報化、国際化で社会構造が日々変わる今、グラフィックデザインの古典を押し付けているだけでは怠慢ではないかと感じる。未来に役立つことは教科書には書いてあるとは限らないので、教員が常に産業界に接して、学生と一緒に今の問題を解決する活動をするしかないように思う。勉強することが多い。
3月に卒業したゼミ生たちも仕事につき始めた。彼ら、彼女たちにとって、大学で身につけた問題発見の力や解決の意欲を実感できる日が早く訪れてほしい。デザインを学んだ意味は、誰かが喜んでくれたと実感できる度に少しずつ分かっていくようだ。

Facebook page


2年生が静岡市の温泉旅館のFacebook pageのプレゼンテーション。学生は現地取材の際に若女将の魅力にすっかりほだされており、意外にリラックスしている。
授業の目的は3つ。「ユーザーの期待を可視化する」「クライアントのファンを作る」「facebookアプリを覚える」中でも、「体験という商品を広告する」視点が持てるかどうか、マーケティングの重要視した。5つのチームは、取材前後に温泉旅館+ユーザー調査を行いシナリオを作っている。
最も説得力に富むプレゼンはCチーム。クライアントが持つ魅力を客観的に分析したことで、自然なペルソナの行動が生まれて、そのまま「ホタルを楽しむ旅館」のビジュアルが生まれている。情報の構造化で成功した例だろう。
クライアントの実際の事例をヒントに、ユーザー参加型のイベントを新規に考案したA,Bチームは企画の力が光る。Aはユーザーが実現したいイベント公募サイト。Bはユーザーが楽しみたい旬の食材調理リクエスト。いずれも一見無関係に見える事象どうしを結びつける、アイデアの飛躍力がビジネス展開の可能性を秘めている。グループディスカッションがうまくいった例だ。
派手はないが丁寧にユーザー心理を分析した、現実性が高い提案がD。プランの価格設定やユーザーコメントも用意した作り込みは、仕事ぶりに信頼が持てる。
Eは散策や写真撮影をしたくなる、というユーザー心理を鋭く捉えた絞り込みが目立つ。料理や温泉というクライアント側の視点ではなく、利用者とロケーションの関係性から魅力を見つけたのはこのチームだけだ。
課題もいくつか。印刷物だと「好き,嫌い」という情緒が絡むので評価が曖昧になりがちだが、facebookのようなwebメディアだと「分かる〜分からない」「正しい〜間違い」という抜き差しならない評価が最初にくる。取材+文献+ディスカッションの時点で「成功につながる間違いのない道筋」を理解していないと、約に立たないモノを作ってしまう。ゴールイメージである「ユーザーの幸せな体験像=コト」を掴んだ上で、はじめて「モノ」のデザインが成功する。
また、ゴールイメージをビジュアルに表現する造形力、相手の心に届くコピー発想は、多くの学生が訓練不足を痛感したはず。
総括して「コミュニケーションしたい」という親切心が成否の鍵であることに気づいた学生は多いと思う。ビジュアルの前に、相手をどう喜ばせたいか?どう分かってほしいか?なのだ。

未来デザイン研究展


新宿3丁目の小さなギャラリーで、2011年に立ち上がった「未来デザイン研究同好会」の初めての発表展を開催した。7月から少しづつ担当を決めて、10月から本格的に取りかかった。3年部長、2年副部長はじめ、グループワークがさほど得意とは言えない面々がばたばたしながら運営をこなした。
新宿という縁もゆかりも無い場所で発表パネルを見ると、「大学=まだ勉強の途中だから」という逃げ場が補償されていない分、出来映えがよく分かる。学生はコンセプトや解説を書けば正当に評価してもらえると思っているが、それは教員との間だけ。ここで伝わるのか?
情報デザインフォーラムの浅野先生からは「シナリオで伝えた方がわかる。コンセプトの背景は理解しにくい」とアドバイス。ゼミ卒業生で市ヶ谷の広告会社に務めるSさんは「学生の時間感覚はゆったりしているから、社会人の問題意識とは違う」と指摘。「実社会に使えそうな視点が無い」ということだ。
集まった33人の気持ちをまとめるためにHCDというワードを旗印のように掲げても、学生がユーザーに経験してほしい「こと」を豊かに発想できるには、まだ調査の糸口すら掴んでいないのが実態だ。普段の授業はユーザー不在の個人的「作品」を作るように教えられるので(汗)、矛盾も多いだろう。しかし一歩先を行く先輩たちの見解は真実だ。授業でしか通用しないことを学んでいても仕方ないだろうと私は思う。こうして勇気を出して恥をかいて、その中から学びのヒントを掴んでもいい。まだ許される1年目の発表会。

copyright Nobuo Yasutake