SONY α99とSIGMA 35mm

今さらα99を選んだ理由は、スチルとムービーの両方を隔たりなく使う計画だからだ。SONYが考えているらしい(2012年当時に考えていたらしい)のは、NIKONCANONのような趣味性が高い性格の「愛機」ではなく、空間をスキャンする最適な「メディア」ではないかと感じる。

便宜的に一眼レフカメラの形をとってはいるものの、本質的な姿は、人の眼に対して、レンズ越しにデジタル機器が捉えた空間データを提供する機械だ。トランスルーセントも液晶ビューファインダーも、そう思えば先行的な開発結果に思える。構造がカメラの系譜に捉われていない点に賛同する。

SIGMA 35mmは圧倒的と評価されている、エッジの切れ味に期待した。SONY用の機種が限られていると要因もあるが、単眼の準広角で自分が動く撮影の仕方を取り戻したいと思った。

撮影してみる。

自分では慣れているつもりでも、カメラを構える体の使い方に油断や怠慢があり、微妙な手振れが起きていることが、現像した後にわかる。

画角もまだ馴染みがない。肉眼でものを見るときに、35mmレンズで切り取るとどのように見えるのか、がまだ身についていないので、とっさに撮影に入れずに、もたついてしまう。

ミラーレスでの撮影は、背後の液晶に映る平面な絵を、平面のままPCに保存するような気持ちだったとすると、αのような大型カメラとSIGMAのレンズは、自分がその空間のどこに立ち、何を見るのか、という緊張感を強いられる。

少なくとも「何か撮ろう」という現場任せのスタイルでは自分が納得しないようだ。何を撮るかではなく、世界をどう見るか、という撮影者の姿勢が問われるメディアだし、そのためのスタイルは、テーマについて深く知ることから始まるように思う。α99は、予想以上に「気持ちに重い」表現メディアなのだ。

 

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copyright Nobuo Yasutake