シビックプライドは教育から
ブラタモリ「熊本」を観ていたら、新町、古町、高麗町と、記憶の中の風景がありありと蘇って、自分の中にその土地に愛着があるのがわかった。
洗馬橋のたもとにある文林堂も、高校3年の自分が受験用に木炭デッサンを初めて描きにいった時の室内の光や匂いと、身の置き所がないような孤独感を思い出す。懐かしいなぁ。
熊本城築城に至る、戦国から江戸の出来事の数々は、当時の人たちの知恵や勇気や、不安や葛藤を映し出す鏡のようなものだ。そうした先人の営みを、僕はとても愛おしく感じる。この街を共に作ってきた仲間みたいな感覚だ。この街で起こったことは自分ごとみたいだし、街と自分がぴったり隙間なく結びついているような帰属意識がある。
これは、シビックプライド、そのものだな。
思うに、テレビ番組は僕にとって、熊本を愛する気持ちを自覚させた、教育の役割を果たしたらしい。
つまり、市民の中に、その街を愛する気持ち=シビックプライドを育む重要な要素とは、街の歴史と人々の思いを受け継ぐ自覚を呼び起こすような「教育」ではないか。