2015年に行ったところ

2015年に向かう年末に、夫婦で沖縄に行った。暖かいところで骨休めだ。f:id:nobyas7:20141227133056j:plain

那覇からは30kmほど離れた北谷町のヒルトンに泊まって、お散歩。白い壁と大きな庇があるコンクリート住宅がとても気持ち良さそうに思える。12月でも20℃以上の乾いた風が吹いている。夜も暖かい。近所のアメリカンビレッジ(ザ観光施設!)でハンバーガーとビールの夕食であっても、気温と風とアメリカの人たちの会話が心地よくて、開放感がある。亜熱帯の島だ。

レンタカー付きのプランだったので、読谷村の陶芸施設やギャラリーをぶらぶらして、最終日は浜比嘉島に行った。ウィキによると人口約500人。沖合の小さな島だ。水不足により水田耕作はできないため、代々漁業で生計を立てていた島らしく、ハワイへの移民が多いとある。琉球を開いた神話のアマミチューを祀った洞窟がある。現在は橋で結ばれているものの、車を止めて集落を歩くと、静岡で感じる暮らしとは全く違う、寂しい気配が周りに満ちている。家はあっても、そこで暮らす人の営みのような温かみが見受けられないのだ。それらの家屋に使われている素材もプロポーションも工法も、昭和30年代に熊本市の郊外で見たような感覚がある。あるいは青森の下北半島の東側の集落をオートバイで走っていた時に感じた寂しさを思い出す。

沖縄本島は決して大きな島ではないが、観光や産業という表面に見えるものとは違い、土地と人が刻んできた歴史の中には、簡単には理解できない強い流れが走っているのだ。

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4月の下旬に妻の仕事の撮影で、韓国に行った。静岡空港から2時間、中国地方の上を横切って海を越えたら、ソウル郊外の仁川国際空港だ。バスの乗り場を数人の係員に聞くけれど、教えてくれる答えが皆んな違う(笑)。建物の中のチケット売り場のお姉さんだけが、英語できちんと指示してくれた。

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国際陶芸ビエンナーレが開催された利川の街。5月に近く、気持ちいい日差しと風だ。

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二人で仕事を終えて、ソウルで2泊、遊ぶ。妻が土地勘もご飯どころも知っているので、とても気楽だ。23時すぎまで江南の街中をふらふらはしごする。

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7月に、兵庫で用事があった帰りに、京都の南禅寺の施設に一泊した。山が、風で動いている、その力強さと優しさに、しばらく見とれていた。

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これは南禅院のお庭。京都で唯一の鎌倉式の庭園だ(そうだ)

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10月に上高地へ。木々や水の流れや空の色だけを見ていることが、実に喜ばしいということを僕は知らなかった。枝の形を目で追っていると、気持ちが静かに広がっていく。車や住宅、広告が目に入ってくる都市生活は、極論すると、視覚と精神を無理やり刺激するだけの害に満ちた暮らしなのだろう。ストレスが多いと嘆く毎日は、見たくないものを見せられて暮らしているからではないか。

 

 

 

 

 

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