PBLで失われるもの
2016年度は、主に未来デザイン研究会に対して9つのPBL(課題解決型の教育)を行った。20余名の学生は一人あたり最大3つほどのプロジェクトに関わりながら、あわただしく一年を過ごしたことになる。
進路を決めなればならない学生にとっては、こうした専門的で社会的な活動に関わったことが自信になることは明らかだろうが、その一方で、同じような時間と労力を、違う勉強に費やしていたら何を得られたのか、と比較することは意味があるし、PBLが内包している価値と課題が明らかにもなる。
学ぶことを、自分自身の変容をもたらすものとして考えると、PBLは現実の社会問題を大人と一緒になって解決するという点で、学生の「態度が変わる」機会となることに大きな意味がある。しかし、大人たちの存在に良くも悪くも左右される点を見落としてはいけない。例えば、都内のICT企業と静岡の企業とでは、企業がPBLに求めるアウトプットの違いが大きい。前者ではデザインシンキングを前提に、学生や研究室と対等にチームを組む意欲があるが、後者は学生をお客扱いか、余興程度に捉える場合もある。その背景には、静岡の企業の多くは、課題の解決について、担当部署に決定権がないということだ。こうした組織の「古さ」が、教育にとっての品質低下、学生の変容をスポイルすることにつながる。
優れた教育成果を生み出すにはは、企業のどのポジションの人間が担当なのか?その人には解決の意欲があるのかどうか?この点を評価しなければならない。同じ時間で、しっかりと理論を理解する方が、変容をうみだす体幹を鍛えることになる方が多いように思う。
写真は2月に神田神保町で開催した、逆求人のサービスデザイン「出張ラボ」
https://www.facebook.com/未来デザイン研究会-529116870501505/
2015年に行ったところ
2015年に向かう年末に、夫婦で沖縄に行った。暖かいところで骨休めだ。
那覇からは30kmほど離れた北谷町のヒルトンに泊まって、お散歩。白い壁と大きな庇があるコンクリート住宅がとても気持ち良さそうに思える。12月でも20℃以上の乾いた風が吹いている。夜も暖かい。近所のアメリカンビレッジ(ザ観光施設!)でハンバーガーとビールの夕食であっても、気温と風とアメリカの人たちの会話が心地よくて、開放感がある。亜熱帯の島だ。
レンタカー付きのプランだったので、読谷村の陶芸施設やギャラリーをぶらぶらして、最終日は浜比嘉島に行った。ウィキによると人口約500人。沖合の小さな島だ。水不足により水田耕作はできないため、代々漁業で生計を立てていた島らしく、ハワイへの移民が多いとある。琉球を開いた神話のアマミチューを祀った洞窟がある。現在は橋で結ばれているものの、車を止めて集落を歩くと、静岡で感じる暮らしとは全く違う、寂しい気配が周りに満ちている。家はあっても、そこで暮らす人の営みのような温かみが見受けられないのだ。それらの家屋に使われている素材もプロポーションも工法も、昭和30年代に熊本市の郊外で見たような感覚がある。あるいは青森の下北半島の東側の集落をオートバイで走っていた時に感じた寂しさを思い出す。
沖縄本島は決して大きな島ではないが、観光や産業という表面に見えるものとは違い、土地と人が刻んできた歴史の中には、簡単には理解できない強い流れが走っているのだ。
4月の下旬に妻の仕事の撮影で、韓国に行った。静岡空港から2時間、中国地方の上を横切って海を越えたら、ソウル郊外の仁川国際空港だ。バスの乗り場を数人の係員に聞くけれど、教えてくれる答えが皆んな違う(笑)。建物の中のチケット売り場のお姉さんだけが、英語できちんと指示してくれた。
国際陶芸ビエンナーレが開催された利川の街。5月に近く、気持ちいい日差しと風だ。
二人で仕事を終えて、ソウルで2泊、遊ぶ。妻が土地勘もご飯どころも知っているので、とても気楽だ。23時すぎまで江南の街中をふらふらはしごする。
7月に、兵庫で用事があった帰りに、京都の南禅寺の施設に一泊した。山が、風で動いている、その力強さと優しさに、しばらく見とれていた。
これは南禅院のお庭。京都で唯一の鎌倉式の庭園だ(そうだ)
10月に上高地へ。木々や水の流れや空の色だけを見ていることが、実に喜ばしいということを僕は知らなかった。枝の形を目で追っていると、気持ちが静かに広がっていく。車や住宅、広告が目に入ってくる都市生活は、極論すると、視覚と精神を無理やり刺激するだけの害に満ちた暮らしなのだろう。ストレスが多いと嘆く毎日は、見たくないものを見せられて暮らしているからではないか。
シビックプライドは教育から
ブラタモリ「熊本」を観ていたら、新町、古町、高麗町と、記憶の中の風景がありありと蘇って、自分の中にその土地に愛着があるのがわかった。
洗馬橋のたもとにある文林堂も、高校3年の自分が受験用に木炭デッサンを初めて描きにいった時の室内の光や匂いと、身の置き所がないような孤独感を思い出す。懐かしいなぁ。
熊本城築城に至る、戦国から江戸の出来事の数々は、当時の人たちの知恵や勇気や、不安や葛藤を映し出す鏡のようなものだ。そうした先人の営みを、僕はとても愛おしく感じる。この街を共に作ってきた仲間みたいな感覚だ。この街で起こったことは自分ごとみたいだし、街と自分がぴったり隙間なく結びついているような帰属意識がある。
これは、シビックプライド、そのものだな。
思うに、テレビ番組は僕にとって、熊本を愛する気持ちを自覚させた、教育の役割を果たしたらしい。
つまり、市民の中に、その街を愛する気持ち=シビックプライドを育む重要な要素とは、街の歴史と人々の思いを受け継ぐ自覚を呼び起こすような「教育」ではないか。
SONY α99とSIGMA 35mm
今さらα99を選んだ理由は、スチルとムービーの両方を隔たりなく使う計画だからだ。SONYが考えているらしい(2012年当時に考えていたらしい)のは、NIKON、CANONのような趣味性が高い性格の「愛機」ではなく、空間をスキャンする最適な「メディア」ではないかと感じる。
便宜的に一眼レフカメラの形をとってはいるものの、本質的な姿は、人の眼に対して、レンズ越しにデジタル機器が捉えた空間データを提供する機械だ。トランスルーセントも液晶ビューファインダーも、そう思えば先行的な開発結果に思える。構造がカメラの系譜に捉われていない点に賛同する。
SIGMA 35mmは圧倒的と評価されている、エッジの切れ味に期待した。SONY用の機種が限られていると要因もあるが、単眼の準広角で自分が動く撮影の仕方を取り戻したいと思った。
撮影してみる。
自分では慣れているつもりでも、カメラを構える体の使い方に油断や怠慢があり、微妙な手振れが起きていることが、現像した後にわかる。
画角もまだ馴染みがない。肉眼でものを見るときに、35mmレンズで切り取るとどのように見えるのか、がまだ身についていないので、とっさに撮影に入れずに、もたついてしまう。
ミラーレスでの撮影は、背後の液晶に映る平面な絵を、平面のままPCに保存するような気持ちだったとすると、αのような大型カメラとSIGMAのレンズは、自分がその空間のどこに立ち、何を見るのか、という緊張感を強いられる。
少なくとも「何か撮ろう」という現場任せのスタイルでは自分が納得しないようだ。何を撮るかではなく、世界をどう見るか、という撮影者の姿勢が問われるメディアだし、そのためのスタイルは、テーマについて深く知ることから始まるように思う。α99は、予想以上に「気持ちに重い」表現メディアなのだ。
空と木を見たい
2015年は母を見送る年になった。6月から週末ごとに熊本に滞在していたこともあって、GSはGARMINのzumo660とTURETECH製のマウントを手に入れて長距離に備えていたが、軒下のガレージから引き出しのは10月を過ぎてからだ。もっぱら清水ICから新富士ICまで移動して、富士市、富士宮市、裾野や越前岳の近辺の林道を走って半日で帰ることを繰り返した。そんなつかの間の体験でも結構嬉しいもので、冬の低い太陽が作る杉木立の影絵が目に新鮮だったり、標高が上がるにつれて7℃、5℃と下がり続ける空気をウェアの腕に感じたりするだけで、気持ちはすっと広がるものだった。木の枝や空の色を見るだけでしみじみするということは、普段の仕事中心の暮らしに余裕がないのだろう。
GSは空気圧を整えただけで見違えるように調子がいい。コーナーの先を見ただけで車体は向きを変えていくような軽やかさがある。
ヘルメットをSHOEIのホーネットADVに変えたのも気軽さを上乗せしている。専門店のフィッティングサービスを受けて自分の横に広い頭の形にぴったりと合った内装を得たことと、ピンロックシールドの効果で曇らない視界が確保できていることで、気を使う要素がどんどん減って、外界と、機械と、自分の五感の3つが絡み合い、反応し合うことだけに気持ちが集中することができる。スキーで感じる自分と外界との一体感と同じであり、サーフィンなどの自然に向き合うスポーツに共通する快感があると思う。
5月にR299号線の麦草峠を登ったのが最も長い距離になった
富士山の新五合目に至る途中から分岐して、十里木のゴルフ場に抜ける県道が美しい
富士宮近辺の農道、人も車もいない
越前岳に向かう林道
少しでも続ける
秋から冬へ、春へと、少しの時間を見つけてはGSと一緒にいる時間を作った。10月は京都大学のデザインスクールが主催するグラフィックレコーディングのワークショップに参加するために、京都に一泊で往復した。京都駅南の市営の地下駐車場は24時間で1,400円という安価、大型のオートバイ専用スペースがあり、セキュリティも良いという評判で利用した。GSの傍らで着替えして、バイク用のスーツ一式はパニアケースに収まった。翌日午後に滋賀の成安造形大学に(11月に公開講座を予定していたので下見を兼ねて)お邪魔して、15時過ぎに滋賀を出て、19時には自宅に着いていた。往復700km弱だった。
12月を迎えて、GSはコクボモータースで2回目の車検だ。21日に預けて、引き取りは1月6日になった。前日に都内でワークショップに参加して一泊し、中央線で八王子に行くと小春日和だ。GSは空気圧が正常で、リーンが軽い。国道20号線をたどりながら標高を上げ、上野原、大月、と勝沼まで来て中央道に入った。中部横断自動車道のジャンクションを調べなかったのが災いして道を見失い、甲府昭和ICで降りて、また入りなおして東進することになった。ガソリンがなく、氷雨が降った。ナビを手放したことを後悔しながら52号にたどり着いた。
この日に懲りて、コミネの電熱グローブを購入した。大ぶりの充電式バッテリーを左右のグローブに内蔵して3段階でヒーティングするそれは、購入前に調べた前評判通りの効果を出して、指先の冷えが痛みになっていた状況は改善できた。グリップヒーターと組み合わせれば、高速道路での連続走行も苦にならない。ライダー生活30余年にして、小さいけれど画期的な進歩?。
週末ごとに2,3時間ずつ乗り続けた。菊川から御前崎まで、お茶畑を抜けるアップダウンは、3日間乗り続けたのが功を奏して、身体とGSの動きが随分と合ってきたように感じた。スポーツと同じで、毎日続けることが最大の成長なのだ。砂利道も走るようになり、車体重心の身体のバランスも少しづつわかってきた。舗装路では感じないタイヤのグリップの具合がわかるのが面白い。ただし、行き止まりで押してUターンする回数も増えた。
3月にヤフオクでZUMO 660を落札した。これでようやく、ナビ音声が聞こえるセットにできるはずだ。花粉症が終われば、東北か紀伊半島に旅をしたい。